ありました。 久しぶりに店頭、店先で柿を見ました。
記事の一部訂正。12/2の続編4 の下の方の「市場から…」と云うくだりでの、「種有り柿」も売っていました。市場から抹殺されていませんでした。
赤く熟れた柿の実で、シーズンも終わりです。 最後に出会いました。 12月も下旬。
今日は(後で)別の店で、少しまけてくれたので余分に4袋8個も買いました。こっちは日持ちがします。ビニール袋に二つ入った本当の渋柿。(脱酸素剤と思うが、これも入って)渋抜きをした大きい方の品種。名前は分かりません。知りません。毎年年末に出てくるものです。
さて本題の ほったらかしの柿の木の果実。
タネのある昔からの柿の実を 昨日(12/19)見つけて、一盛りが 五個のを、二籠分買ってきました。
同じようにカメムシにやられたのか、黒い沢山の斑点 シミと、成長不足か、発育不良で変形が見られるものも有り。枝でこすられて出来たキズ。見かけ、きりょうはもうひとつですが、器量は悪いですが赤く熟れています。
しかし果実は固く 近頃まで、何日か前までは、枝にぶら下がっていたものと思います。
(柿の実は取り入れて日にちが経つと、実が柔らかく熟してきます。果物全てがそうですが)
食べてみると、やはりタネが有りました。
今日12/19(金)に買ったお店は スーパーではない 既存の小売店。食料品店。
以前は八百屋と云われていたお店です。
通りかかった時、柿が有るのを見た。値段も安いので自転車をUターンさせて(引っ返して)買った。
12/ 3 続編5 の追記になりますが 柿の種は、熟し柿では 種はまるまると太っていきます。
丸くはならないが、元々種は平べったく、平たい種が厚みを増し 丸くなってきます。
生きていて成長しているんです。 本来の自分の栄養源である実を糧にして。
収穫して時間が経つと果物の種 全般にそのように見受けられます。
果肉の栄養を糧にして成長しています。
一見小石のごとく、石風に固く閉ざして生命観とは無縁の様に見えますが、生きています。
柿の種の周囲を囲っているゼリー状のものは、種が落ちた時に 直ぐ芽を出さないようにしているそうです。
芽を出して 寒い冬に枯れるのを避けるため、一冬を越す 種の為の毛布でしょうか。そういう役割が有るそうです。
3:00 2008/12/20
2008年12月20日土曜日
千両箱
日本経済は資源小国である為 原材料を輸入して、製品、商品にして輸出で稼ぐという仕組みで基本的に成り立っている。
ところが今、世界中に蔓延している不況の為、基軸通貨であるドルの下落と アメリカで初めてのゼロ金利政策などで、今日は(UPが間に合わず19日の事です) 1ドルに対して一時87円迄行った円高の為、輸出産業の牽引者(牽引社)たるトヨタ自動車が、トヨタ単体では、第二次世界大戦の終戦後以来 初めての(70年ぶりの)赤字決算になる見通しのようである。
世界中が100年らい(百年来)の未曾有の大不況に突入している。
さて昨日の話(千両箱)の続きですが、これは12月11 日の6 回目と 18日9回目の記事の続きになるのですが 千両箱一つが 今のお金で16億円もの値打ちだった。という話。
この千両箱の重さ、目方をお客さんが当ててみるという段で 私は低い舞台に上がらせてもらい、 持ち上げてみた。
重い重いと言う説明だったが、お客がいろいろ目方を言ってみる中 俺は40キロ(グラム)と言ったが即座に違うと言われた。
正解は一箱の重さが20kgで、映画で見るようにはいかない と、 一人では持って逃げられないとの説明だった。
舞台から説明してくれた人はそう言ったが 俺はそうではないと思った。
この人は力仕事などしたことのない人なのだろう。
外見は非力な様には見えなかったが。
世の中には「力持ち」は山程居る。16億円もの大金なら例えその倍の40kgでも持って逃げられると。
肩に担げば、例え鉄の補強金具が肩に食い込んでも、重さの40kgは意外と楽に持てるものである。
汗だくでいけば映画シーンの盗賊の持ち逃げ場面はあり得る。ましてや盗賊類は筋骨隆々である。
この解説はおかしいと思った。
16億円も有るなら大抵の大人は出来るだろう。一攫千金。火事場の馬鹿力である。
あの時、太秦映画村へ見学に行った時は、中央広場 のあたりで団体の記念写真を撮る順番待ちの間、
近くの(椅子が沢山ある)展示場で 海辺、海岸の砂浜での「波の音」なぎさの音とか 「馬のひずめの音」。「番傘の雨の音」などの擬似音が出る道具を試してみた。
記念写真に収まった後「本丸御殿」(という記念館)で 『歴史を飾った女性たち』展で昔の風物を見た。
つい先日終わってしまったNHKの大河ドラマの主人公である「天璋院篤子」と表示されている説明パネル付きの 花柄の着物と、殿中の「網かご付きの火鉢」 「肘かけ。ひじ当て」。 女性の小物入れ(螺鈿細工の黒の漆塗り)。
それと「紫式部」の平安時代の着物を見た後、 外に出て その先へ行くと、おみやげ店の「江戸屋」の前には 京都名物のお土産で有名な 粒あん入り生八つ橋の「夕子」の幟が立ててあり、その前の
「時代劇屋」のお店では、湯飲み茶碗に 自分自身で絵付けをして 陶器の焼成 焼き上げをした後郵送してくれる、体験お土産のコーナーも有った。
23:33 2008/12/19
ところが今、世界中に蔓延している不況の為、基軸通貨であるドルの下落と アメリカで初めてのゼロ金利政策などで、今日は(UPが間に合わず19日の事です) 1ドルに対して一時87円迄行った円高の為、輸出産業の牽引者(牽引社)たるトヨタ自動車が、トヨタ単体では、第二次世界大戦の終戦後以来 初めての(70年ぶりの)赤字決算になる見通しのようである。
世界中が100年らい(百年来)の未曾有の大不況に突入している。
さて昨日の話(千両箱)の続きですが、これは12月11 日の6 回目と 18日9回目の記事の続きになるのですが 千両箱一つが 今のお金で16億円もの値打ちだった。という話。
この千両箱の重さ、目方をお客さんが当ててみるという段で 私は低い舞台に上がらせてもらい、 持ち上げてみた。
重い重いと言う説明だったが、お客がいろいろ目方を言ってみる中 俺は40キロ(グラム)と言ったが即座に違うと言われた。
正解は一箱の重さが20kgで、映画で見るようにはいかない と、 一人では持って逃げられないとの説明だった。
舞台から説明してくれた人はそう言ったが 俺はそうではないと思った。
この人は力仕事などしたことのない人なのだろう。
外見は非力な様には見えなかったが。
世の中には「力持ち」は山程居る。16億円もの大金なら例えその倍の40kgでも持って逃げられると。
肩に担げば、例え鉄の補強金具が肩に食い込んでも、重さの40kgは意外と楽に持てるものである。
汗だくでいけば映画シーンの盗賊の持ち逃げ場面はあり得る。ましてや盗賊類は筋骨隆々である。
この解説はおかしいと思った。
16億円も有るなら大抵の大人は出来るだろう。一攫千金。火事場の馬鹿力である。
あの時、太秦映画村へ見学に行った時は、中央広場 のあたりで団体の記念写真を撮る順番待ちの間、
近くの(椅子が沢山ある)展示場で 海辺、海岸の砂浜での「波の音」なぎさの音とか 「馬のひずめの音」。「番傘の雨の音」などの擬似音が出る道具を試してみた。
記念写真に収まった後「本丸御殿」(という記念館)で 『歴史を飾った女性たち』展で昔の風物を見た。
つい先日終わってしまったNHKの大河ドラマの主人公である「天璋院篤子」と表示されている説明パネル付きの 花柄の着物と、殿中の「網かご付きの火鉢」 「肘かけ。ひじ当て」。 女性の小物入れ(螺鈿細工の黒の漆塗り)。
それと「紫式部」の平安時代の着物を見た後、 外に出て その先へ行くと、おみやげ店の「江戸屋」の前には 京都名物のお土産で有名な 粒あん入り生八つ橋の「夕子」の幟が立ててあり、その前の
「時代劇屋」のお店では、湯飲み茶碗に 自分自身で絵付けをして 陶器の焼成 焼き上げをした後郵送してくれる、体験お土産のコーナーも有った。
23:33 2008/12/19
2008年12月18日木曜日
年末ジャンボ宝くじ
先日宝くじを買いに行った。
売り子の方が「どうぞ当たりますように」と言って渡してくれた。
今回はCMの西田氏が3億円 1億円 100万円と宣伝している。
宝くじの発売30周年とかで。
いよいよ明日19日迄である。
100万円がなんと7000本もあると新聞広告に出ていたので買おうと思っていた。 が
俺には実は (今回は 当初新聞の広告記事を見た時、買うつもりで居たんだが、これを断念させる事態が起きていた。
たいそうなことでは無いんだが、予期せぬ出費が有ったので 自分を戒める為にも、心中やめようと決めていた。)
それは受信メールが山程(5000近くある)貯まっていて、消すのに メールを読んでいると、
又々 引っ掛かって、ついついアフィリエイト商材といわれるものを買ってしまった。
メールを開くまでは 全く買うなどと予定もしてないし もとよりアフィリエイト商材は、もう買うまいと
頭で決めていたのだが。 失敗したかもしれない。
年末ジャンボ宝くじで100万円が7000本もあれば、「ひょっとしたら」という可能性が 今までよりは
確率としてかなり高くなっていると判断して、これまた誘惑に駆られて買いに行った。
参加してないと 夢さえも生じない。
もしも1億円当たったらどうしょうか? と。 100万円の方は、もし当たったら、毎日おいしいごちそうを食べに行こうと、いとも簡単に答えは出る。
「食べ歩く」と直ぐに使い道は浮かぶのだが、
1億円の方はあまりにも現実離れしすぎていて 貧乏人の俺には、具体的に出てこなかった。
それでも 今はこの答えは自分の心中で出来ている。
「お金」で 先月京都の「東映太秦映画村」へ行った折の「千両箱」の話を思い出す。
今この記事をUPしようとモデムを繋いだら、受信メールBOXが とうとう5000を突破して5050通にもなっています。
売り子の方が「どうぞ当たりますように」と言って渡してくれた。
今回はCMの西田氏が3億円 1億円 100万円と宣伝している。
宝くじの発売30周年とかで。
いよいよ明日19日迄である。
100万円がなんと7000本もあると新聞広告に出ていたので買おうと思っていた。 が
俺には実は (今回は 当初新聞の広告記事を見た時、買うつもりで居たんだが、これを断念させる事態が起きていた。
たいそうなことでは無いんだが、予期せぬ出費が有ったので 自分を戒める為にも、心中やめようと決めていた。)
それは受信メールが山程(5000近くある)貯まっていて、消すのに メールを読んでいると、
又々 引っ掛かって、ついついアフィリエイト商材といわれるものを買ってしまった。
メールを開くまでは 全く買うなどと予定もしてないし もとよりアフィリエイト商材は、もう買うまいと
頭で決めていたのだが。 失敗したかもしれない。
年末ジャンボ宝くじで100万円が7000本もあれば、「ひょっとしたら」という可能性が 今までよりは
確率としてかなり高くなっていると判断して、これまた誘惑に駆られて買いに行った。
参加してないと 夢さえも生じない。
もしも1億円当たったらどうしょうか? と。 100万円の方は、もし当たったら、毎日おいしいごちそうを食べに行こうと、いとも簡単に答えは出る。
「食べ歩く」と直ぐに使い道は浮かぶのだが、
1億円の方はあまりにも現実離れしすぎていて 貧乏人の俺には、具体的に出てこなかった。
それでも 今はこの答えは自分の心中で出来ている。
「お金」で 先月京都の「東映太秦映画村」へ行った折の「千両箱」の話を思い出す。
今この記事をUPしようとモデムを繋いだら、受信メールBOXが とうとう5000を突破して5050通にもなっています。
2008年12月12日金曜日
京都の日帰り旅行。 の続編2
仁和寺は、平成6年に国際連合の世界遺産に登録されたそうで、なるほど と うなずける。
隣接の観光バスの駐車場から東門をくぐり(旧御室御所、総本山 仁和寺と看板が出ている)、ジャリ道だったか、かなり歩いて 左右に開けたところに出ると、左手少し下り坂の奥に 黒々とした年代物の
大きな 二階建ての 巨大な門構えが目に飛び込んでくる。
下りながら近づくと ますますその門は偉容、威容を感じさせ示してくれる。これが二王門だった。
この二王門の内側 二王門から中門の間は参道だそうだが、白壁と立木に囲まれた範囲は広く長く、
芝生全体を含めると、平安時代には なぎなた、あるいは太刀を持った僧侶が一万人位は待機出来そうな程の広さが有った。
紫宸殿(移築されたから宸殿)は二回の火災で焼失しており、現在の建物は、明治の時代に建てられたものである事を、帰り際に 玄関(拝観御殿)の、中に向かって右側の奥に有った 掲示板の、説明文の終わりの方に書いてあった。
広く長く続く縁側は よく手入れされていて 風雨の時は濡れる縁側であるにもかかわらずピカピカと形容してもいい程によく手入れされていた。
毎日大勢の観光客が、手に手に靴を 買い物袋に入れて 観光ルートに従って拝観させてもらう、
月に何万人か 何十万人もの人が歩いて通る通路(一部は畳を敷いた通路の間)のぬれ縁である。
丁度紅葉、もみじの季節である。庭の石庭 庭園が美しかった。
ここでは別のカメラで25枚撮った。途中ポケットからカメラを出す時、〔動き回っていたので(熱く)暑くなり 脱いだ上着と靴を抱えていたので、焦りもあったのか、〕誤って、うっかりして無造作に引きだそうとしていた。カメラのシャッターボタンに触れてしまい、服を写してしまった。
池もあり(これは宸殿の北庭であった) 石灯籠もあり、小さな白いジャリの(白川砂と杉松だそうで)
南庭の、良く整備されたゴミ一つ無い 美しい行き届いた庭園を、縁側に腰掛けてしばし(汗を拭きながら)眺めてきた。ここでもっと時間をかけて 風景に埋没してきた方が 良かったのに と今頃思う。
時間を費やすほど、ゆとりを感じられる 交換価値の有る空間ではないかと思います。
僕が座ったのは、(縁側から足を垂らして)縁側に腰掛けたのは(白書院の方で) ズラーと人が並んで腰掛けていたので、空いていた縁側の周り角、廻り縁の、かどっこの、端の方で 柱の近くだったが、若い女の子の左横であった。
宸殿の「床の間」に、赤い袈裟を着た後鳥羽上皇(と思いますが)を描いた掛け軸の掛かった部屋の「天井」はめったにお目に掛かることのできない立派なもので、天井も入れて写真を撮ったがフラッシュの光が足りないのか 薄暗いぼけた写真になっていた。 室内の撮影には失敗していた。
曖昧な記憶より確かな映像として、今日は(翌日の17日の事)きのう撮ったカメラの現像に(今の子供さんは デジタルカメラばかりで、こんな事は知らないのではないかと思う)出しに行く予定である。
おみやげも渡しに行く予定。 太秦(映画村)で、帰り際に引換えた記念写真も持って行って。
太秦、ウズマサ
難しいこの読み方は
参考に。 調べると
仁徳天皇の頃(393~427年)、弓月国(カザフスタン)の王が 127縣(19万人)の 民を引き連れてやってきた。 《海を渡った大集団の記録》
その長の名(氏)を 秦氏(はたうじ)という。
(日本の人口、このとき600万人)その後、近畿を中心に勢力を伸ばしていった。
集団の中心的人物、秦河勝(はたのかわかつ)は 聖徳太子の側近と成り、冠位十二階、憲法十七条を作るのに大きな影響を与えたとされている。
本拠地は京都の太秦(うずまさ)であり「秦」の字が残っている。
ウズマサ・・・ヘブライ語で「光のたまもの」という意味。ウズ・・・光、 マサ・・・たまもの。
「ウズマサ」という読みはヘブライ語。 とのことです。
隣接の観光バスの駐車場から東門をくぐり(旧御室御所、総本山 仁和寺と看板が出ている)、ジャリ道だったか、かなり歩いて 左右に開けたところに出ると、左手少し下り坂の奥に 黒々とした年代物の
大きな 二階建ての 巨大な門構えが目に飛び込んでくる。
下りながら近づくと ますますその門は偉容、威容を感じさせ示してくれる。これが二王門だった。
この二王門の内側 二王門から中門の間は参道だそうだが、白壁と立木に囲まれた範囲は広く長く、
芝生全体を含めると、平安時代には なぎなた、あるいは太刀を持った僧侶が一万人位は待機出来そうな程の広さが有った。
紫宸殿(移築されたから宸殿)は二回の火災で焼失しており、現在の建物は、明治の時代に建てられたものである事を、帰り際に 玄関(拝観御殿)の、中に向かって右側の奥に有った 掲示板の、説明文の終わりの方に書いてあった。
広く長く続く縁側は よく手入れされていて 風雨の時は濡れる縁側であるにもかかわらずピカピカと形容してもいい程によく手入れされていた。
毎日大勢の観光客が、手に手に靴を 買い物袋に入れて 観光ルートに従って拝観させてもらう、
月に何万人か 何十万人もの人が歩いて通る通路(一部は畳を敷いた通路の間)のぬれ縁である。
丁度紅葉、もみじの季節である。庭の石庭 庭園が美しかった。
ここでは別のカメラで25枚撮った。途中ポケットからカメラを出す時、〔動き回っていたので(熱く)暑くなり 脱いだ上着と靴を抱えていたので、焦りもあったのか、〕誤って、うっかりして無造作に引きだそうとしていた。カメラのシャッターボタンに触れてしまい、服を写してしまった。
池もあり(これは宸殿の北庭であった) 石灯籠もあり、小さな白いジャリの(白川砂と杉松だそうで)
南庭の、良く整備されたゴミ一つ無い 美しい行き届いた庭園を、縁側に腰掛けてしばし(汗を拭きながら)眺めてきた。ここでもっと時間をかけて 風景に埋没してきた方が 良かったのに と今頃思う。
時間を費やすほど、ゆとりを感じられる 交換価値の有る空間ではないかと思います。
僕が座ったのは、(縁側から足を垂らして)縁側に腰掛けたのは(白書院の方で) ズラーと人が並んで腰掛けていたので、空いていた縁側の周り角、廻り縁の、かどっこの、端の方で 柱の近くだったが、若い女の子の左横であった。
宸殿の「床の間」に、赤い袈裟を着た後鳥羽上皇(と思いますが)を描いた掛け軸の掛かった部屋の「天井」はめったにお目に掛かることのできない立派なもので、天井も入れて写真を撮ったがフラッシュの光が足りないのか 薄暗いぼけた写真になっていた。 室内の撮影には失敗していた。
曖昧な記憶より確かな映像として、今日は(翌日の17日の事)きのう撮ったカメラの現像に(今の子供さんは デジタルカメラばかりで、こんな事は知らないのではないかと思う)出しに行く予定である。
おみやげも渡しに行く予定。 太秦(映画村)で、帰り際に引換えた記念写真も持って行って。
太秦、ウズマサ
難しいこの読み方は
参考に。 調べると
仁徳天皇の頃(393~427年)、弓月国(カザフスタン)の王が 127縣(19万人)の 民を引き連れてやってきた。 《海を渡った大集団の記録》
その長の名(氏)を 秦氏(はたうじ)という。
(日本の人口、このとき600万人)その後、近畿を中心に勢力を伸ばしていった。
集団の中心的人物、秦河勝(はたのかわかつ)は 聖徳太子の側近と成り、冠位十二階、憲法十七条を作るのに大きな影響を与えたとされている。
本拠地は京都の太秦(うずまさ)であり「秦」の字が残っている。
ウズマサ・・・ヘブライ語で「光のたまもの」という意味。ウズ・・・光、 マサ・・・たまもの。
「ウズマサ」という読みはヘブライ語。 とのことです。
2008年12月11日木曜日
京都への日帰り旅行。
先月 観光バスで京都へ行ってきました。
11月16日(日)朝六時半。バスのヘッドライトで照らされている中、乗り込む時は雨の中で、傘をすぼめてステップに足を掛ける時には体が濡れた。
日曜日なので渋滞にも会わず、順調に走れて 京都南インターチェンジを降りるあたりは、いつも混んでいるそうですが、当日は運良くスイスイと行けました。
最初の目的地である「東映太秦映画村」(キョート・スタジオ・パーク)に降りる時は、未だ小雨が降っていましたが、その後雨もあがってくれた。
ウズマサ映画村は初めて見ましたが、土(オニマサ)真砂土、学校の校庭(グランド)の土と同じ。地面に当然木造で、江戸時代の建物、家がたくさんオープンセットで造られていた。
舗装道路ではなく、道に 雨で 浅い水たまりが出来て、歩くと足跡が付く、日本の二昔前の情景が有った。
使い掛けのカメラは フィルムがまもなく無くなった。使い切ってしまった。
ここでの思い出は、後ほど書くことにして 昼食後は、次の目的地の仁和寺に行った。
「ニンナ」と読むそうだ。俺にはジンワとかニンワと読みそうなところ。
仁和寺の二王門(仁王像の文字、仁王門ではなくて)は大きくて、立派で、古めかしく、堂々とそびえ立って(建つ)いた。
初代の上皇である後鳥羽上皇が住んでおられた所だそうで、ずいぶん広く立派であった。
まさに「おごそかで美しかった。」
11月16日(日)朝六時半。バスのヘッドライトで照らされている中、乗り込む時は雨の中で、傘をすぼめてステップに足を掛ける時には体が濡れた。
日曜日なので渋滞にも会わず、順調に走れて 京都南インターチェンジを降りるあたりは、いつも混んでいるそうですが、当日は運良くスイスイと行けました。
最初の目的地である「東映太秦映画村」(キョート・スタジオ・パーク)に降りる時は、未だ小雨が降っていましたが、その後雨もあがってくれた。
ウズマサ映画村は初めて見ましたが、土(オニマサ)真砂土、学校の校庭(グランド)の土と同じ。地面に当然木造で、江戸時代の建物、家がたくさんオープンセットで造られていた。
舗装道路ではなく、道に 雨で 浅い水たまりが出来て、歩くと足跡が付く、日本の二昔前の情景が有った。
使い掛けのカメラは フィルムがまもなく無くなった。使い切ってしまった。
ここでの思い出は、後ほど書くことにして 昼食後は、次の目的地の仁和寺に行った。
「ニンナ」と読むそうだ。俺にはジンワとかニンワと読みそうなところ。
仁和寺の二王門(仁王像の文字、仁王門ではなくて)は大きくて、立派で、古めかしく、堂々とそびえ立って(建つ)いた。
初代の上皇である後鳥羽上皇が住んでおられた所だそうで、ずいぶん広く立派であった。
まさに「おごそかで美しかった。」
2008年12月3日水曜日
柿の実を採りに行ってきました。 続編 5
いよいよ かき(日本語ではカキには海に有る、あるいは養殖して事業を営む、これ又おいしい冬の味覚の牡蠣と、柿が有ります)をいただきます。
僕は柿を食べる時は ヘタの葉の部分を取り、よく水洗いして、包丁で丁寧に これら全ての欠点を、手間を掛けて 念入りに取り除きます(皮をむくように)
但し僕は皮はむきません。カワごと食べます。
食べる時は 実を割るのに 包丁を入れる時は くじ引きの様な感が有ります。
包丁を入れた時のあたり具合。種を避けて割ろうとするのですが これが意外と難しい。
カンで包丁を入れますが 種と種の間の隙間に 見えない外から うまく包丁を入れる事は難しい事なのです。たいていは種に当たります。
いかに種を避けて切り割るか? 僕は出来るだけ種を傷つけないように 切る事に徹しています。そっくり種を口から出せるように。いわば大事に扱っています。
何故ならば、種(果物の)すべてに生命力を感じているからです。
今売られている柿は(市販の柿)ほとんどが めんどくさいこんな事とは無関係に どこからでも無頓着に切り分ければいいだけです。
そんな事はには留意する必要はありません。し たいていの人は固い種を切って(タネの中には白い松茸形のものが立っています)も何とも 当たり前の事として気にもしないでしょう。
僕が食べる自然のままの、ほったらかしの柿さんは、原始的だがそれなりの 当然の過程を経て(食べれるように綺麗にして)我が口に入るのである。
もしも この柿の種に多少でも興味があり、種を植えてみようかとお思いの方は、柿の種(オカキに同名のお菓子が有りますが)をご希望の方は 住所等お知らせあれば無料でお送りしますよ。
但し収穫は、「桃、栗 三年。柿八年」と言われるごとく、10年位のスパンをもって考える必要有り。当面は無事に芽を出すかどうか? と 成長出来るかどうか? です。
「種」は その内の幾つかは芽を出し、次世代に生をつないで行ける、人類の能力では作り出すことの出来ない 太古からの遺伝子を等しく持っていて 次の世を生きる為に 形を変えて、その機会を待っている連中です。
3:55 2008/12/03
僕は柿を食べる時は ヘタの葉の部分を取り、よく水洗いして、包丁で丁寧に これら全ての欠点を、手間を掛けて 念入りに取り除きます(皮をむくように)
但し僕は皮はむきません。カワごと食べます。
食べる時は 実を割るのに 包丁を入れる時は くじ引きの様な感が有ります。
包丁を入れた時のあたり具合。種を避けて割ろうとするのですが これが意外と難しい。
カンで包丁を入れますが 種と種の間の隙間に 見えない外から うまく包丁を入れる事は難しい事なのです。たいていは種に当たります。
いかに種を避けて切り割るか? 僕は出来るだけ種を傷つけないように 切る事に徹しています。そっくり種を口から出せるように。いわば大事に扱っています。
何故ならば、種(果物の)すべてに生命力を感じているからです。
今売られている柿は(市販の柿)ほとんどが めんどくさいこんな事とは無関係に どこからでも無頓着に切り分ければいいだけです。
そんな事はには留意する必要はありません。し たいていの人は固い種を切って(タネの中には白い松茸形のものが立っています)も何とも 当たり前の事として気にもしないでしょう。
僕が食べる自然のままの、ほったらかしの柿さんは、原始的だがそれなりの 当然の過程を経て(食べれるように綺麗にして)我が口に入るのである。
もしも この柿の種に多少でも興味があり、種を植えてみようかとお思いの方は、柿の種(オカキに同名のお菓子が有りますが)をご希望の方は 住所等お知らせあれば無料でお送りしますよ。
但し収穫は、「桃、栗 三年。柿八年」と言われるごとく、10年位のスパンをもって考える必要有り。当面は無事に芽を出すかどうか? と 成長出来るかどうか? です。
「種」は その内の幾つかは芽を出し、次世代に生をつないで行ける、人類の能力では作り出すことの出来ない 太古からの遺伝子を等しく持っていて 次の世を生きる為に 形を変えて、その機会を待っている連中です。
3:55 2008/12/03
2008年12月2日火曜日
柿の実を採りに行ってきました。 続編 4
柿の実の 熟れた柿色はすばらしい。
柿色の赤は何とも暖かく、じーっと見とれてしまいます。
あったか味のある朱色。これにもグラデーションがあり、できるだけ赤、朱色に近いもの、色のこいもの濃い、濃度のコイものがいい。綺麗で見事だ。
柿のヘタに近い方がより色があでやかである。
ジーッとながめて 感心していられる。
陶工の柿右衛門(佐賀・有田 柿右衛門)がこの色を出すのに苦労したという故事にもうなずける。
スイカの熟れた赤と 桃の熟れた色。にも関心があります。
桃の場合は表面の皮に 新聞写真とか、今のインクジェット式の吹きつけに見られる 微粒子の赤の
斑点の数の多さで、色の濃さ 濃淡が出ているが、柿の場合は微粒子の濃淡というのが無い。
筆で塗ったように染まっている。
大きな かぶりつけば じわーっと甘い汁が出てくる、くちびるの 外にも溢れ出てくる 桃の実とは違った色づき方である。
柿のアカで見事な朱色のものは数も少ない。
子供の頃。 夏の終わり頃か 秋の感じは無かったと思うが、柿のまだ青い実を取って 固い実に、子供の口を大きく精一杯あけて むりやりかじりついた時のあの歯ごたえ、シャリッとした噛みごたえ。
しかし渋みも有り(サトウの入りは未だ少なく)柿の味の第一歩の部類。
今は 年老いて、中には入れ歯になってしまつて 二度と味わう事の出来ない遠い昔の事となってしまった方も、多分 子供の頃の記憶、思い出は お持ちだと思いますが。この噛みごたえ、感じを鮮烈に思い出された方もおられるのではないでしょうか。二度と帰らぬ 遠い昔の なつかしい 人それぞれに異なる かけがえのない思い出。掛け替えのない想い入れとして。そんな方は、しばし遠い昔のわらべの頃に思いをはせて下さい。
今お店で売っている柿との大きな違いは、大きさと 色や 形と 何より中に種が 幾つも入っている事です。今の子供さんは 柿とは種が無い果物であると思っている子が大勢居るのではないかと思う。
僕が毎日幾つも食べている柿は 本来の、昔からの、いわゆる古いタイプの柿です。
葡萄と同じく種なしの薬品処理等を してない、ほったらかしの天然の柿です。
したがってカメムシに食われ(俺はピーマンの茎等に群がって 吸血鬼の様に巣くっている 亀甲形をしたカメムシは知っているが)これと同じカメムシかどうかは知りませんが、少し凹みとシミになった部分、とか 黒い小さな斑点が幾つも有ります。キズも有ります。きりょうは良くないが、なにせタダ
ただのもの。
しかも食べ放題。満足するまで食べ続けてもいいんです。但し とてもトイレが近くなります。
柿の利尿作用の為。
スーパー等の「店」で売られている柿は、亀虫の消毒も受け、優等生で、いわば美人ばかり、箱入り娘で、実際に虫に喰われないように 白い紙袋にも、くるまれ育ってきたものが多いと思います。お嬢さんそだちで育って、市場 いちばに出て来たものばかりです。だから種なども今時有りません。
もし種が有れば取引もされないか、捨て値に買いたたかれてしまい、市場から消滅してしまったものと思います。現に行き当たりません。
僕の取ってきた柿は カメ虫(らしいと思う)に喰いつかれて ヘコミと変色をきたし それとは別に、あっちこっちに 小さい黒い斑点が付いている。そして全てに 数の多少は有っても「種」が必ず入っている
だがこの連中はすばらしい能力を秘めている。僕はその事に感心しています。
当たり前のことのようでも 人間には出来ないことなので。
全てがそうではありませんが 数の多少は有っても、翌年以降に 土の中に植えれば、その内の幾つかは芽を出し 次世代としてこの世に「生」をつないで 生き返る事が出来る 優れた素質を持った連中(柿の種)である。
中国の 優秀であったのに哀しいかな、優れた素質を次世代に残せないようにされた宦官と違って
(何百年とこんな事が続いて来た) この点で種なし柿も似通っていると思われる。
4:35 2008/12/02
柿色の赤は何とも暖かく、じーっと見とれてしまいます。
あったか味のある朱色。これにもグラデーションがあり、できるだけ赤、朱色に近いもの、色のこいもの濃い、濃度のコイものがいい。綺麗で見事だ。
柿のヘタに近い方がより色があでやかである。
ジーッとながめて 感心していられる。
陶工の柿右衛門(佐賀・有田 柿右衛門)がこの色を出すのに苦労したという故事にもうなずける。
スイカの熟れた赤と 桃の熟れた色。にも関心があります。
桃の場合は表面の皮に 新聞写真とか、今のインクジェット式の吹きつけに見られる 微粒子の赤の
斑点の数の多さで、色の濃さ 濃淡が出ているが、柿の場合は微粒子の濃淡というのが無い。
筆で塗ったように染まっている。
大きな かぶりつけば じわーっと甘い汁が出てくる、くちびるの 外にも溢れ出てくる 桃の実とは違った色づき方である。
柿のアカで見事な朱色のものは数も少ない。
子供の頃。 夏の終わり頃か 秋の感じは無かったと思うが、柿のまだ青い実を取って 固い実に、子供の口を大きく精一杯あけて むりやりかじりついた時のあの歯ごたえ、シャリッとした噛みごたえ。
しかし渋みも有り(サトウの入りは未だ少なく)柿の味の第一歩の部類。
今は 年老いて、中には入れ歯になってしまつて 二度と味わう事の出来ない遠い昔の事となってしまった方も、多分 子供の頃の記憶、思い出は お持ちだと思いますが。この噛みごたえ、感じを鮮烈に思い出された方もおられるのではないでしょうか。二度と帰らぬ 遠い昔の なつかしい 人それぞれに異なる かけがえのない思い出。掛け替えのない想い入れとして。そんな方は、しばし遠い昔のわらべの頃に思いをはせて下さい。
今お店で売っている柿との大きな違いは、大きさと 色や 形と 何より中に種が 幾つも入っている事です。今の子供さんは 柿とは種が無い果物であると思っている子が大勢居るのではないかと思う。
僕が毎日幾つも食べている柿は 本来の、昔からの、いわゆる古いタイプの柿です。
葡萄と同じく種なしの薬品処理等を してない、ほったらかしの天然の柿です。
したがってカメムシに食われ(俺はピーマンの茎等に群がって 吸血鬼の様に巣くっている 亀甲形をしたカメムシは知っているが)これと同じカメムシかどうかは知りませんが、少し凹みとシミになった部分、とか 黒い小さな斑点が幾つも有ります。キズも有ります。きりょうは良くないが、なにせタダ
ただのもの。
しかも食べ放題。満足するまで食べ続けてもいいんです。但し とてもトイレが近くなります。
柿の利尿作用の為。
スーパー等の「店」で売られている柿は、亀虫の消毒も受け、優等生で、いわば美人ばかり、箱入り娘で、実際に虫に喰われないように 白い紙袋にも、くるまれ育ってきたものが多いと思います。お嬢さんそだちで育って、市場 いちばに出て来たものばかりです。だから種なども今時有りません。
もし種が有れば取引もされないか、捨て値に買いたたかれてしまい、市場から消滅してしまったものと思います。現に行き当たりません。
僕の取ってきた柿は カメ虫(らしいと思う)に喰いつかれて ヘコミと変色をきたし それとは別に、あっちこっちに 小さい黒い斑点が付いている。そして全てに 数の多少は有っても「種」が必ず入っている
だがこの連中はすばらしい能力を秘めている。僕はその事に感心しています。
当たり前のことのようでも 人間には出来ないことなので。
全てがそうではありませんが 数の多少は有っても、翌年以降に 土の中に植えれば、その内の幾つかは芽を出し 次世代としてこの世に「生」をつないで 生き返る事が出来る 優れた素質を持った連中(柿の種)である。
中国の 優秀であったのに哀しいかな、優れた素質を次世代に残せないようにされた宦官と違って
(何百年とこんな事が続いて来た) この点で種なし柿も似通っていると思われる。
4:35 2008/12/02
2008年12月1日月曜日
パキスタンはインドの東と西の両側に有った。2つ有った
とうとう12月に入った。早いものだ。インドの同時多発テロ事件も犯人10人の内9人が射殺されて終わった。タージマハル・ホテルで銃撃戦をやっていた3人も29日に射殺され鎮圧された。
11/27日(木)、現地で26日の夜に勃発したが、意外と早く片づいた。
犯行グループは パキスタンから海上ルートで大量の武器弾薬を持ち込んだ。
パキスタンは以前はインドの国の両側に同名国で2つ有った。2つに分かれていた。
今は西側の核兵器所有国だ。東側に有ったパキスタンは大河ガンジス川の河口に位置していた。
ダッカのある方(カルカッタの北東)で、台風(サイクロン)の時の低気圧による高潮で、海水面より少しだけ高いという わずかの高所も無い為 満潮の高潮で 何万人もの人が洪水と高潮で、桁外れの人数がおぼれ死んでいる。
バングラデシュ(BANGLADESH)過去何度も何回も水害による犠牲者を出している。
インドで聖なる川のガンジス川も下流の河口付近では、大洪水の時は800メートルも川岸を削り、川が移動してしまうそうで、暴れ川である。俺が思うには、独立国となった為、サイクロンの緊急時に 国土のほとんどが 海抜わずかの低地の為、水害逃れで何十万人もの国民が 隣国に避難することも出来なくなってしまった為、貧乏人が洪水と高潮でおぼれ死んでいったのではないかと。
一部の独立指導者が 累積で何十万人もの人を 殺す結果を招いたと思う。
27日(木)のムンバイの10カ所で同時に起きたテロ事件。(現地インドのボンベイでは26日の夜)。
ここは何故ハエみたいな名前に変えたんだろうか。
ボンベイ(BOMBAY)と言う昔から綿花、わた、綿の輸出と胡椒(黒こしょう、白こしょう)の取引で栄えたところ。胡椒は大航海時代以前の シルクロードの時代には、胡椒は金と同じ価値だった。金の値打ちで取引されたと言う程少なく貴重で まさに金のなる木であったのである。何処で採れるのか?。
肉食の西洋人にはなぞの香辛料と薬であった。
冷蔵庫の無い時代。肉の臭みを取り おいしいごちそうに変える、これ又まさに魔法の粉掛けであった。
集積と輸出で世界に名の知れ渡った かの有名な「ボンベイ」だったのに。蠅の親戚みたいに聞こえるムンバイでは俺にはピンと来ない。何故名前を変えたんだろうか。
ボンベイの年間平均気温が27~28度。丁度今頃が平均気温と同じ暖かさ。
7:17 2008/12/01
11/27日(木)、現地で26日の夜に勃発したが、意外と早く片づいた。
犯行グループは パキスタンから海上ルートで大量の武器弾薬を持ち込んだ。
パキスタンは以前はインドの国の両側に同名国で2つ有った。2つに分かれていた。
今は西側の核兵器所有国だ。東側に有ったパキスタンは大河ガンジス川の河口に位置していた。
ダッカのある方(カルカッタの北東)で、台風(サイクロン)の時の低気圧による高潮で、海水面より少しだけ高いという わずかの高所も無い為 満潮の高潮で 何万人もの人が洪水と高潮で、桁外れの人数がおぼれ死んでいる。
バングラデシュ(BANGLADESH)過去何度も何回も水害による犠牲者を出している。
インドで聖なる川のガンジス川も下流の河口付近では、大洪水の時は800メートルも川岸を削り、川が移動してしまうそうで、暴れ川である。俺が思うには、独立国となった為、サイクロンの緊急時に 国土のほとんどが 海抜わずかの低地の為、水害逃れで何十万人もの国民が 隣国に避難することも出来なくなってしまった為、貧乏人が洪水と高潮でおぼれ死んでいったのではないかと。
一部の独立指導者が 累積で何十万人もの人を 殺す結果を招いたと思う。
27日(木)のムンバイの10カ所で同時に起きたテロ事件。(現地インドのボンベイでは26日の夜)。
ここは何故ハエみたいな名前に変えたんだろうか。
ボンベイ(BOMBAY)と言う昔から綿花、わた、綿の輸出と胡椒(黒こしょう、白こしょう)の取引で栄えたところ。胡椒は大航海時代以前の シルクロードの時代には、胡椒は金と同じ価値だった。金の値打ちで取引されたと言う程少なく貴重で まさに金のなる木であったのである。何処で採れるのか?。
肉食の西洋人にはなぞの香辛料と薬であった。
冷蔵庫の無い時代。肉の臭みを取り おいしいごちそうに変える、これ又まさに魔法の粉掛けであった。
集積と輸出で世界に名の知れ渡った かの有名な「ボンベイ」だったのに。蠅の親戚みたいに聞こえるムンバイでは俺にはピンと来ない。何故名前を変えたんだろうか。
ボンベイの年間平均気温が27~28度。丁度今頃が平均気温と同じ暖かさ。
7:17 2008/12/01
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